先日、今年前半のプロジェクトの慰労会がありました。
自分の父親ぐらいのユーザー部門の方(後に本社の理事さんだと判明)と、サーフィンの話で盛り上がるという予想外の事態もありつつ、楽しいお酒を飲む事ができました。

その時にふと気付いてしまったのです。
僕はこのプロジェクトに関しては、どのようなタスクであっても、与えられた期限とリソースの中で最大限、お客様の事を考え、とにかく真摯に自分も納得行くまで取組むようにしていたのです。
でも、実は、お客様が一定の満足感を得られたならば、それ以上の努力は、費用(工数?)対効果が悪くなる、ということに気付いてしまったのです。勿論、その飲み会のように、頑張ったら頑張ったなりに、心境的には「良かったよ」というような差を感じてもらえるにせよ、一定の満足ラインを超えたアウトプットの差は実は、自分にしか分からないのだという事なのです。

この事は言い換えると、自分なりにある程度の時間と工数を掛け、最善であると信じてやってきた事も、そういう他者の評価との「臨界点」に達した後は、あくまでも「自分がこれだけやっているのだから良い物にちがいない」という自己満足に成っているという事に他ならないのです。

これって高校のバスケ部時代にやっていた、基礎トレーニングに似ているなと思ったのです。走力強化の為の持久層やドリブル等、自分に適正な負荷が掛かっている分には、その成果が自分にも試合にも見える形で現れてくるのですが、ある一点を超えると、疲労が蓄積したり、最悪怪我をしたりしてしまうのです。

元々、(仕事に関しては)何でもキッチリやらないと気が済まない性分の自分としては、これは非常に画期的な発見でした。
こういうと不真面目に聞こえるかもしれませんが、プロジェクトの作業でも「これはあんまり誰の為にもならないな」と思う時は、そのシーン固有の及第点を取れる「臨界点」でセーブし、わざわざ、嫌な思いをして無駄な努力をする必要はないのかもしれないと思うのです。
日々が自分との葛藤に成り立つ今の仕事の中で少し癒される発見だと一人想うのでした。

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